解剖学者の先生のお話です。
自分にあった仕事に就こうと思う人。
それは理屈で言うと妙な所が有るんです。
なぜなら自分に合った仕事というものがあるとすれば、自分が先にあるからです。
その自分というのは、どのくらい当てになるものか、ということを考えて下さい。
僕、解剖やってます。
解剖に合った人ってどういう人ですか。
ある訳ないんだよ。そんなもの。
だから何かやっぱり、
私の場合これが(解剖)一番安心だな。
そういうものがあればいいんです。
ポジティブにそれを受け入れるってことですから、そうしないと学習できませんから。
嫌だ嫌だと思ってやってたら、上手くいく訳ないに決まってるじゃないですか。
でも嫌いなことを仕事に、就職したら嫌いなことをやらなきゃいけなかったら、どうするんですか。
私はそれを嫌ってほど経験しましたよ、解剖で。
嫌なことって解剖自体じゃないんですよ。
遺族の付き合いとか、怒られるとか、お葬式で挨拶しなきゃいけないとか。
そんなもん大の苦手ですから。
そしたら解剖やろうと思ったら、全部やらなきゃいけないでしょ。
どうしたらいいんですか、そういう時。
簡単ですよ。
やんなきゃいけない事は、好きになればいいんです。
以上。終わりです。(笑)
そうでしょ。それを仕事の方変えてくれって言うのはおかしいんですよ。
だって仕事は周りの都合ですから。
個人じゃないですよ。
相手が一人ならともかく、お葬式とか遺族とか複数ですよ皆。
それを俺はやりたくねえから、お前の方変えてくれって、葬式のやり方変えてくれって訳にはいかない。
とすれば自分を変えりゃいいんですよ。
考えて下さい、相手だって人間でしょ。
人間平等でしょ。
相手の意見変えさせるってことは、自分の意見を変えるってこと。
五分五分じゃないですか。
一人で。
10人だったら10人の意見を変えさせるってことは、手数が自分の10倍じゃないですか。
じゃあ自分変えたら自分なくなっちゃうでしょ。
だから身体って言ってるんです。
なくなる訳ないんですよ。
それで10年やって、変わんないものはなんて言うか。
自分って言うんですよ。
20年やっても変わんない。
やっぱり自分なんですよ。
さもなきゃよっぽど頑固ですよ。
昔の教え方ってそうでした。
だから日本の伝統的な芸能は、10年先生の真似をしろって、ただひたすら言うんです。
先生の真似したって俺、先生じゃないんだから、どうしたって最後には同じにできないでしょ。
いいんです、それで。
それが個性だから。
先生の個性か弟子の個性か分かりませんけど、ともかくそこは一致できない。
いいじゃないですか、違うんだから。
顔見ればわかりますよ、違うことは。
少し難しくなりましたが、子育ても関係してくるものだと思います。
苦手なことから逃げては進めませんね。自分を変えなきゃいけない。
今がその時かもしれませんね。